今日から指導者コラムを始めようと思います。日々の活動で気づいた点などを書いていきたいと思います。不定期の更新になってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
初回ということで、自己紹介をさせてもらいます。私は宮城県仙台市で生まれ育ちました。ボールを蹴り始めたのは幼稚園の頃です。それから、小・中・高とサッカーを続けてきました。サッカーを通してできた友人は今でも自分の大切な財産です。
高校は県内の進学校に通い、そこで文武両道を心がけ全国大会を目指していましたが、全国に出ることは叶いませんでした。プロサッカー選手になりたいとずっと思っていましたが、どちらかというと「なるんだ!」というより「なれたらいいなぁ」という気持ちだったと思います。そのため、高3で進路を決める時も、進学校だったということもあり、なんとなくサッカーが続けられそうな国立の大学を受験することにしました。
結果は見事に落ちました。
その後、浪人生活をするのですが、日々受験勉強をしているうちに「本当にこれでいいのか」「自分がやりたいことはなんなんだろう」と考えるようになり、大学受験をやめて本気でプロサッカー選手を目指すことを決めました。そこに至るまでには、友人の支えや励ましがあり、そのおかげで一歩踏み出す勇気をもらうことができました。
そこから、知り合いの紹介や薦めなどもあり、新潟に行くことになりました。そこで初めてサッカー漬けの生活。「好きなことをやれる充実感」と、「好きだからこそ味わう苦しさや悩み」を感じながら生きていたと思います。ここでサッカーに取り組む姿勢や、考えてサッカーをすることなど、新しい刺激が沢山あり、多くのことを学ぶことができました。サッカーのこと、それ以外のことでも大きく成長が実感できた日々だと思っています。
その後、思うような結果が出ない中、シンガポールリーグに挑戦するチャンスがあり、考え抜いた末アルビレックス新潟・シンガポールに行くことを決めました。プロ選手としての生活や海外生活により得るものは大きく、貴重な経験をさせてもらったこと、そして選手時代を支えてくれた家族や友人には今でも感謝しています。
アルビレックスでの契約が満了になり、私はそこで選手としては引退することにしました。自分の中でやりきったと思うことができたため、次の道を進むことに迷いはなかったです。引退後は大学に進学し、教員免許を取得し、教員としてサッカー部の監督になることを目標としました。結局大学に行くという結果になりましたが、浪人時にサッカーに本気で取り組むことを決断しないで進学していたら、選手としてやれたんじゃないかという後悔を抱えながら生きていたかもしれません。
大学はスポーツ関係のことを学びながら体育の教員免許を取りたかったため、地元の仙台大学に進みました。年下の学生と授業を受けましたが、興味のあることが多く積極的に大学で学ぶことができたと思います。大学に通いながら、母校の高校で外部コーチとしてサッカー部の指導をさせてもらうこともできました。
大学卒業後はある私立学校の教員として採用され、女子サッカー部の監督、大学男子サッカー部の監督を経験しました。学校を退職し、その後中学生のクラブチーム、小学生のクラブチームで指導をしました。その中で一貫指導に興味を持ち、いつか教員として学校の現場に戻りたいという思いがありました。その思いが叶う形で、現在縁があって函館ラ・サール学園で教員としてサッカーの指導に関わらせてもらうことができています。現在3年目ですが、サッカー部では全国大会出場を目指し頑張っています。
ざっと今までを振り返りながら自己紹介をさせてもらいました。それぞれの場面で学んだことや感じたことはありますが、細かいことは今後機会があれば紹介していきたいと思います。
函館ラ・サール学園サッカー部には心得やプレーモデルがあり、オンザピッチもオフザピッチもそれに基づいて活動しています。これは上で述べたように、私自身が今まで生きてきた中で学んだことや、感じたことを中心に、今の函館ラ・サールの選手に合わせて作りました。チーム関係者はもちろん、チームを応援してくれる方々や、これから入学・入部を考えてくれている方々にもぜひ共有してもらいたいと思っています。