たった一度の全道大会出場すら叶わなかった。怪我ばかりしていた。エースナンバーにキャプテンという超VIP待遇で迎えたインターハイ予選は、チームが負けていくのをベンチで見ていることしかできなかった。6年間通して納得いくコンディションで臨んだ公式戦と言えば、何人かの同期が引退した後の高3の選手権だけ。何を言っても遅すぎた。(まあこれに関してはチーム状況のわりに大分健闘したと思っている。ありがとう、たじ君)後悔がないはずもない終わり方をしてしまったけれど、後輩とかが読んだときに何か思えるかもしれない(思わないかもしれない)ので、僕のサッカー漬けの6年を振り返ってみたい。
〈中1〉
毎試合ラグビーみたいな失点数を記録していた暗黒時代。軽く年200失点はしていたと思う。サッカーじゃねぇ。部活来たり来なかったりの先輩はスタメンで出るし、負けてもみんなヘラヘラしてるし、開矢はいじめてくるし、今思えばなかなか悲惨だったなと思うけど、当時はそれなりに楽しんでいた気がする。大体試合には出してもらえてたし、チームはどうせ負けるから、自分が良いプレーをしていればそれで満足だった。いつもみたいに10点くらい取られて負けた後、水遊びをしているチームメイトに松田先輩が「負けて悔しくねえのか!?」と怒っていたのを覚えている。いや悔しいわけねぇじゃん、いちいち悔しがってたらキリがないって。そんな風に思ったのも覚えている。
〈中2〉
暗黒時代2年目。リーグ戦開幕2試合で13失点して新入生の田島が泣いていた。いやいや2試合で13失点は善戦した方じゃない?まあこいつもそのうち大量失点に慣れるでしょ。何より、葛西先生が監督になった。それで早々に全道、全国行く!とか言い出した。いやまず現状見てから言ってよ。夢見すぎだろ(笑)・・・っていうのを本当に全部思ってた。クソガキすぎる。
・・・でもなんかしばらくしたら本当に戦えるようになってきた。失点も1桁になったし、接戦も増えて、もうちょっと頑張れば勝てるかも。中学サッカー半分終わって初めて試合に勝ちたいと思うようになった。秋の新人戦は決勝トーナメントまで行けた。そこで負けたのが悔しくてフットボールパークのトイレで一人で泣いたのを覚えている。チームメイトが誰も泣いていなかったから、こいつら負けて悔しくねえのかなと不思議に思った。なんならムカついた。半年前の自分が見たら何て言うか想像もつかない。
〈中3・高1〉
この2年は基本的にずっと焦っていた。中3はトレセンにも選んでもらえたし、ちょっと自信もついてきた。その矢先に右腕を折った。遊んでて折った。アホすぎる。それに加えてケガ中何もしなかったから、当然戻ってからが大変だった。体が動かずに、中体連もトレセンも何もしないで終わっていった。以前のようなプレーができなくなった。焦って体幹と走りをやりだしたのはリーグ戦の最終盤だった。1日サボったら取り戻すのに3日かかる。その通りだと思う。中3の公式戦は春先にちょっと活躍して終わった。情けない。
その流れで高校の練習に参加するようになって絶望した。Bチームですら通用しなくて、空気の凍るようなボールロストで先生を怒らせることも多く、辞めたいとは思わなかったけど、毎日行きたくなかった。で、同学年のタイ人だか日本人だかメキシコ人だか分からないMFはAチームでそれなりにできている。面白くない。時間の許す限り基礎練しまくった。やっとの思いで試合でのミスも減ってきて、道南トレセンにも連れてってもらえた。全く通用しなかったけど、今思えば良い経験になった。
〈高2〉
コロナに振り回される事が引き続き多かったけれど、コンスタントに試合にも出られて、充実していたと思う。心残りは、先輩を全道に連れて行ってあげられなかったこと。一度でも連れて行ってあげたかった。それと、初めてのMFで何もできなかったこと。自分が思っていた以上に何もできなくて、自分のプレーをとにかく研究しまくった。それなりに成果はあったし、研究そのものが自分の成長に繋がった。自分のやりたいプレーが明確になり、意図をもって練習に臨めた。何事も目標がはっきりしないまま漠然とやるのは良くない。
高校生になった田島はドリブラーになっていた。ヒールリフトすんな。それカバーすんの俺なんだよ。
〈高3〉
高3になって初めて気づくことがたくさんあった。キャプテンになって、最高学年になって、学ぶことばかりだった。チームの中心として、ピッチ内外全てにおいてチームの勝利の為に全力を尽くした。ラ・サールでの多くの時間を共にしてきた仲間とサッカーを一生懸命やったと思う。けれど、最後の最後、チームを勝たせる選手にはなれなかった。
遂に全道大会には手が届かなかった。
それでも僕はこのチームでの6年間を誇りに思う。あの時ああしていれば、こうしていればと思う事はあっても、このチームでサッカーをしたことに後悔は微塵もない。都度自分で選択して、6年間サッカーを続けてきたことで得たものは必ずある。願わくば後輩達には一つでも多くの後悔のない選択をしてほしいと思う。
最後に。当たり前だけど一人じゃサッカーはできない。僕のサッカーを支えてくれた両親、監督、スタッフ、チームメイト、関わってくれた全ての人に感謝したいと思う。
6年間ありがとうございました。